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レポートと言うほどのものではありませんが「天女浜」に伝わる昔話を紹介します。
元禄の頃のお話。 この村の人たちは浜で塩をとり生計を立てていました。 海の中に小さな島がありそこに神様を祭って「沖明神」と名づけ 沖明神を中心に11浜(塩田)で塩作りに励んでいました。 ところが、毎年のように沖明神の前の6番浜の堤防が切れてしまいます。 どんなに丈夫に築いてもくずれ石や砂が入り込み、人々は大変な苦労をしていました。 村人達は沖明神に集まって相談しましたがいい知恵が浮かびません。 何日も何日もお祈りしました。 満願の夜、ある男がきれいな女の人が人柱になる夢を見ました。 人柱になる人を探すのは大変ですが他に手立てはなさそうです。 村人たちは浜の外れの小さな家でお経を読んだり写経をしたりして静かに暮らしている 一人の美しい女の人に人柱になってくれるように頼みに行きました。 女の人はこの世の人とは思えないくらい美しい人でした。 女の人は「海の見えるこの土地に住まわせていただいたお礼に喜んで人柱になりましょう」 と言って、今まで書き溜めたお経と一緒に人柱となって行きました。 それ以来どんな高潮がきても堤防が切れることはなかったそうです。 人々はこの女の人を天女だと言い、この浜を天女浜と呼ぶようになったと言うことです。 *「向島の民話」を参考に、少し書き直しました。 沖明神は今は児童公園の隣に移されています。 面白い狛犬さん。文政と書いてありました。 他にも古い常夜灯などありました。 で、よくよく見ていると・・・ご先祖様の名前がっ!! 「奉納 金婚紀念 山口元七」「大正13年1月」とあります。 モトヒチさんは私のひいおじいさんです。 会ったことないけど・・・なんか出会えた感じ^^ そして、こちらが海辺にある人柱地蔵だと思います。(何にも書いてないので多分) 電気も便利な機械もない時代でも、ここでの暮らしがあったのですね。 ちょっとタイムトラベルして来ました。
by kaze__tati
| 2008-07-03 15:23
| 尾道
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